昨日買った本。

464ページにわたる熱量が半端ない。
くらくらする。

それぞれの描き文字には解説がついている。
「少し先のチビた筆で丹念に描くこと。短気をおこすと形がくずれる」など。

描き文字の言葉のセレクトも絶妙。
「湯上がりの皮膚」「ぺてん野郎」「村八分の父母」
「十代の男の決定的瞬間」「深夜の人魚の鱗」などなど。


ものすごい楽しい。

かっこいい




コンドルズ観劇。
くだらなすぎて笑い泣いた。
あー、良かった。

全力でお客さんを楽しませようとしてるし、
カーテンコールで、全員が「やり切った!」っていう
清々しい顔してるのを見るとぐっとくるな。

最高にかっこいい大人だ。

帰るところがない




シネマテークたかさきで「二郎は鮨の夢を見る」を見ました。
銀座にある鮨店「すきやばし次郎」の店主である、
小野二郎さん(87歳!)のドキュメンタリー映画です。


優しく握ったお鮨に、
刷毛で醤油をひとぬりしてお客さんに出すのですが、
この一連の所作が美しい…!
(予告編の中で見られます→こちら

特にマグロが美味しそうなのですが
お鮨を置く板(何て言うのかな?)が黒いから、
赤色が一番映えるんですよね。

ただ美味しいお鮨を出せば良い訳でなく、
器や店内の隅まで気を配って、全体を演出している所が
二郎さんやこのお店が評価される点なのだと感じました。
こういう美意識に、たまらなくぐっときます。


映画の中では自分にも他人にも厳しい考え方が
随所に表れていたのですが、
特にぐっときた言葉がありました。

次男の隆士さんが独立して、六本木に支店を建てた時
二郎さんが隆士さんに「六本木で死んでこい」と言ったエピソード。
失敗したらいつでも帰ってこい、ではなく
失敗してもお前が帰ってくる場所はない、という意味。
くぅ〜!と唸りました。

小学校一年の時からこの道に入った二郎さん自身も、
父親に同じことを言われたそう。
帰る家がないからこそ、
どんなに辛いことがあっても耐えよう、
上手くなるように努力しよう、と思ったと。


ひとつひとつの言葉が重くて、
何度も頭をガーンと殴られた気分でした。





いただいたリンネルに載っていた、
菊池亜希子ちゃんの連載「またたび」。
はじめて読んだのだけど、
気持ちのよい文章ですーっとした。


くるくる働くのはよいことだけど、
リスのくるくるみたいにくるくる回り続けてたら目が回る。
空がピンクに染まったら、くるくるを止めて空を見上げる。
くるくるくる、すとん。そいでまた、くるくる。
うん、そういうリズムがいい。


デザインと写真も、文章の世界観と合っていて素敵だったな。

::

ずっと前、「将来どうしようかなあ」と考えていた時
Re:sと高山なおみさんの「日々ごはん」を読んでいた。
毎日カバンに本を入れていて、
通勤の時と会社のお昼休みの時に読んだ。

モヤモヤとしている日々だけど
文章がひたひたと染みて、
この時間だけは特別な気がした。
心の拠り所みたいなものが
いつも自分の手の中にあって心強い気持ちだった。

それから環境も変わり
あの時ほど、ひとつの文章に揺さぶられるような
そんな経験が少なくなってきた。
一文の裏にある気持ちとか、文字の周りの空気みたいなものとか、
そういうところまで汲み取れなくなった。
気持ちが鈍感になってきているんだ、と思って
ずっと危機感があった。


でも、今日は文章が久しぶりに
ひたひたと底の方に染みた。
まだ鈍りきっていない、大丈夫だなあと思った。



最近、必要な情報だけ見るようにしたり、
自分が発信することについても考え直しているから
ちょっとずつ感覚も変わってきているのかな。
もしそうだったら、気持ちの循環というのは面白いなあと思う。

メモ


「一日、練習しないと、そのぶん、きっちり下手になる。
ところが、毎日やったからといって、毎日そのぶん上達するかというと、
絶対にそんなことはない。つまり下手にならないために練習をするわけです。」

inbookで知りました。
金原端人さん著「翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった」
という本からの抜粋らしいけれど、すごく納得。

そうだそうだ(再び)




↑ 1年前の今ごろの日記。

毎年落ち込んでる。
毎年立ち直ってる。